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生活体力

どこで読んだのかは忘れてしまったが、あるスポーツの指導をされている方が「昔の日本人は日常生活で鍛えた体力、いわば生活体力とでも言うべきものを持っていたので大柄な西洋人と比しても戦えたのだ」といった文章を書かれており、興味深く読んだ記憶がある。

交通機関やオートメーションの未発達が日常の労働の中で自然な体力を養成する。ウエイトトレーニングのように意図的に負荷をかけるものではないから少々ブランクがあっても急激に衰えるものではないし、重いバーベルが上げられなくとも人間を振り回すような力にも応用しやすい。無理やり身につけたパワーではなく身体と一体になったパワーである。

会員歴1年のNN君は日ごろ工場で部品の入った箱を運んだり、什器をセットする仕事を行っている。まったく武道や格闘技の経験はなかったということだが力の強さは当会一、二。ナチュラルパワーの持ち主である。入会当初は力の強さが逆効果となって突き技も「押し技」になっていたが現在では力をぬくべきところはぬけるようになっているため、スピードものり、強力なパンチを打てるようになっている。

熱心に自主トレもしているのだろう。姿勢もよくなり、以前悩まされていた腰痛もサンチンを繰り返すことで軽減されてきたとか。
本日の稽古で
「型がホンマにようなったな、○○流(私が出た流派)の下手な茶帯より上手いで!」と私。 

白帯のNN君曰く
「それ、褒められているんでしょうか・・・・?」

もちろん褒めてます。

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消費者と稽古生

前回のブログにいつも投稿をくださる方からのコメントで少し思うことがあった。

今でも日本独特の体育会的精神主義を利用して疑問のある行動(わざと使い物にならない技を伝授する、不当に何度も金銭を徴収する、など)をとるところもあるようだ。気楽に通える道場の増加はこのようなシステムがまかり通っていたことの反動かもしれない。

フィットネスクラブなどは好きな時間に通え、多くの場合早朝から深夜までオープンしている。欠席したところで非難されることはない、払ったお金が返ってこないだけである。月会費に含まれているクラスなら人気のないインストラクターは高い指導料をとることができない。ボクシングジムなどでも同様のシステムをとっているところもあるようだ。ジムには好きな時間に行っていいし、設備も使える。追加料金で人気トレーナーを独占することもできる。

ビジネス面のみから考えれば武道の道場もこのようなシステムに近づけるべきかもしれない。すなわちお金を払う立場=会員=消費者の立場を最優先させる考え方である。お客様第一主義である。

これに対する考え方はあくまで道場とは道を伝えるものであり、弟子が先生に合わせる、という考えである。私も古い人間なのでそれからは離れられない。この方式が機能する条件は、簡単なことだが指導者が優れていることである。

私は自身が達人とは程遠くとも、優れた指導者は目指したいと思っている。意味のない稽古は行わず、不要な体育会的ノリも排除するが礼節を重んじ、技を習得する場として機能する、そのような道場をめざしている。

100人中2、3人しか残らないのも問題だが・・・ (下)

(前回より)
「月刊空手道」で読んだと記憶しているが故芦原英幸先生は「ウチの道場は入ってきた会員100人中2、3人しか残らなかった、というのは何の自慢にもならんのです。その2,3人はどこに行っても強くなれる人なんです。私はそれ以外の人物を強くすることを考えていました」といった内容を述べられていた。数多くの強豪を育てた方の言葉だけに重みがある。芦原先生の道場は先生の人気もあり、非常な盛況だったようだ。私がお目にかかった往年の芦原空手の強豪の方達は熊のような身体からモノスゴイ(この表現がふさわしい)パンチや蹴りを放たれていた。

時代は移り、少なからぬ空手道場がYOUTUBEなどで稽古内容を公開されている。自分の知らない稽古法などを自宅で見学できるのは楽しいものだが道場によってはおよそ武とは縁のなさそうな方達がニコニコしながら稽古しているシーンが多いのは気になるところである。

一部の天才は別かも知れないが武的な技術はある程度の真剣さを持ち、一定期間の稽古をつまなければ習得できるものではない。もちろん指導する側も正しい技術をもち、モチベーションを高める工夫を怠らないのは前提であるが、それでも一定の人数は脱落するのが自然である。車の運転などと異なり、一般人の実生活において武術が不可欠ということはない。

武に興味がある人は多いだろうが趣味の第一を武とする人はそれほど多くはないはずである。沢井健一先生の言葉を借りれば「武に向いている人」と「武に興味のあった人」の違いである。どなたでもできます、という道場ではそれらを稽古カリキュラムの中で分別しているのだろうか・・・

100人中2、3人しか残らないのも問題だが・・・ (上)

私の沖縄空手の先生は大学空手の出身だった。

「技術的にはたいして競技空手から得るものはなかった」と話されていたが先生の現役時は昭和40年代、学生武道の硬派イメージが強かった時代である。稽古は相当厳しいもので寸止めルールでも当てて倒すの当たり前。自由組手で失明した、腕を粉砕骨折して変形した人がいたなどといった話をしばしば伺った。日々の基礎練習も非常に厳しく基本練習、体力運動などは時間単位(前蹴りなら前蹴りばかりを1時間続ける、など)で行うことは普通であり、当然脱落者も多く1年生のはじめに100人近くいた部員が2年生になるころには10人以下になっていたとか。

私が空手をはじめた昭和50年代半ばは丁度「空手とは厳しいもの、ついてこれないヤツはやめてしまえ!」という時代と多くの道場が「正しい(?)指導法により誰でも強くなれますよ」とアピールしだす時代との狭間だった。普通の大学では哲学も学生運動も姿を消しかけていた。

(続く)

しっかりした身体を創る

会員SS君がこのところずいぶん姿勢がよくなり、また腕や首まわりが太くなっている。もちろんウエイトや腕立て伏せといった筋トレの結果ではない。また体型にあらわれない場合でも入会半年くらいでほとんんどの会員が握力や足腰の粘りが著しく強くなることを実感している。

華奢な人が偏った筋トレで鍛えた場合、大胸筋や上腕二頭筋が発達に比して肘から先が細く、指や掌も薄いアンバランスな身体となっているケースが少なくない。

空手本来のトレーニングにより筋トレでは鍛えにくい肘の横や手首の小さな筋肉が発達してくる。 サンチンの型や基本運動を自然に繰り返すことにより空手用の筋肉が鍛えられる。サンチンは力をぬいた状態で行うのであるが負担の小さいものではない。むしろ非常にキツイ。

自然であり、かつキツイ稽古により空手用の柔らかく、しっかりした身体を徐々に創りあげるのである。


続・蹴り技考

沖縄空手をはじめたとき、蹴り技の使い方について指導を受けた。手技で間合いを測り、とどめに威力のある蹴り技を使うのがよい、ということだった。通常はフルコン、寸止め空手とも間合いの保てる蹴り技で相手との距離を調整し、相手の隙をみて接近戦にもちこんだ後は器用に動かせる手技で極めてゆくケースが多い。

スポーツ空手と逆なんですね、と質問する私に先生は「そうだ、安定性に欠ける蹴り技は多用しない。威力のある蹴り技は接近戦でとどめを刺すために使うのだ」と仰り、突きがやっと当たるくらいの間合いから私の手首の関節をとり、受け技もブロック技も出せない姿勢にして脇腹に鋭い蹴りを放った。もちろん寸止めされるのであるが身体の中を鋭い槍が通ったような感触がつきぬけた。

いわゆる総合格闘技ではフルコン空手などに比べ蹴り技、特に高い蹴り技は多用されない。威力の大きい蹴り技も禁じ手の少ないルールの中だと掴まれてしまった場合は攻守逆転してしまう。また相手の急所に正確に当てこむ意味でも手技に比べると確実性に欠ける。相手の肘などを蹴ってしまい、攻撃したほうが足を怪我してしまうケースは少なくない。もちろん先生がされたように相手をトラップした状態であれば安全性、確実性ははるかに増す。
プロフィール

古流修行者

Author:古流修行者
大阪、尼崎で沖縄空手を指導しています。また三木市稽古会も発足しました。型で身体と動きを創ることを中心としています。興味をもたれた方はjyoutatsuhou@gmail.com までご連絡ください。

武道上達法研究会 古伝沖縄空手指導日誌

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