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木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか
増田俊也
新潮社


以前籍をおいていた空手道場であるテーマについて後輩達と議論したことがある、「戦前の柔道と戦後の柔道はどちらが強いか?」

タイムマシンがない以上正解は出せないがこの種の話題はつきない。後輩たちは「戦前のほうが強い」という意見が多かった。戦前の柔道は武道で戦後柔道はスポーツだからという理由からだ。

私は異論を出した、
「武道精神が戦前のほうが強かったことは間違いないだろう。しかし、ルールの中で戦う以上その中での優劣が問われる。「平均的な戦前の柔道部 VS 平均的な戦後の柔道部」なら戦前のほうが強かったと思う。しかし「戦前の全日本選手権クラス VS 現在の全日本選手権クラス」で団体戦をやれば7:3くらいで現代の柔道家が勝つんじゃないか?
理由は
1)現在の柔道家は会社に所属していても一般のサラリーマンと異なり事実上プロ。全日本クラスの選手はほとんどが一日中稽古をしており戦前と比しても稽古量は劣らない。
2)体格差の問題はやはり大きい。現在の全日本クラスの平均体重は戦前より2−3階級くらい上ではないか?
3)日本人との稽古がほとんどだった戦前の選手と異なり現代の選手は体格、体力の上回る外国人選手とも試合や稽古を行っており経験、バリエーションが豊富

等々。」

ここで「但し・・・」が入る、「木村政彦クラスを例外として・・・」。

強豪ぞろいの全日本選手権においてほとんどの試合を一分以内で終了させている、ケタ違いの実力が誇張ではないのだ。凄すぎる。本書は既出書からの単純な引用(孫引き)を極力さけ、一次資料からの検証となっており、進むほど凄さの説得力が増えるのだ。約700ページ、そのすべてから著者の柔道と木村政彦への思いが伝わる大著。





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「何を教えるか」だけでなく「どのように教えるか」 − 指導力考

英米人なら誰でも英語は話せる。しかし誰もが英会話講師として能力があるわけでない。洋画好きの人が皆英語が理解できるわけではないのと同様だ。

強い先生に教われば誰でも先生のように強くなれると考える人が多い。しかし、武道(特に古流系)で実力のある先生の多くは天才型である。技術指導に熱心な先生は少なく、その中で指導上手な先生はさらに少ないのが実情と思う。

閑話休題、古武術上達の秘訣を述べることはそれほど難しくない。

1)脱力をマスターすること
2)正しい基本の型を教わり、反復練習すること
3)下半身を鍛えること
4)日々の稽古を欠かさないこと

要約すればこれだけである。多くの先生方も著作でこれらの重要性を述べているし、おそらく道場でも説かれている。

しかし、古武術関係で「書物で読んだ高名な先生のところに一生懸命通ったおかげで先生と同じような技が使えるようになりました」という例は少ないように思える。その逆は非常に多い。極論すれば先生がDVDや通信教育の立体再現のみを行っているような道場もある。

生徒の多くは欠点がある。一例だが脱力ができていない弟子がいるとよう。先生は「もっと力を脱け」という指導は一応するだろう。指導を受け、弟子は自分では力を脱いたつもりでいる。しかし手首の力はぬけていても肘に力が入っていたり、あるいは脱力したところハラまでふぬけておよそ武術から離れた姿勢になったりする。弟子は十人十色で癖があるが自分では先生に言われた通り、先生の真似ができていると思ってしまうのである。

間違えているポイントが違えば指導も異なる。だからこそ先生について習う価値がある。

手首を握る稽古

合気系の流派(合気道、その源流である大東流、八光流及びそれから派生した日本少林寺拳法など)の稽古は手首を握られた状態からはじまる稽古体系が多い。これを実用護身の点から批判する人がいる。接近して最初の攻撃が手首を握るだけ、という暴漢は稀であるし、手首を握ったままじっと相手の攻撃を待っている暴漢はさらに稀、という理由である。

これに対しての一般的な説明として「日本の武術は帯刀状態を想定しており、手首技は刀を抜かせないためのもの」という解釈がある。現在の稽古体系はその名残であるということだ。

一見もっともだが
1)帯刀している相手の手首を持てるほど接近できたのならば当身等でダメージを負わせたほうが手っとり早いし、確実
2)大東流(事実上は武田惣角翁のオリジナル)の成立は実質的には廃刀令以降であり、日本刀への対処に重点を置く意義が不明
3)古流の剣術、居合術には刀身を使った技ばかりでなく柄や柄頭を使った技術も伝授されているがこれらへの対処は?
4)中国や古代ローマなど、帯刀の文化を持った国家は少なくないがそれらの国の武術は日本武術のように手首技を重視していない
などといった疑問が生じる。

以下私見ー

実際の戦いには相手の動きに対する「読み」が重要になる。動体視力も読みの要素ではあるだろうが接近戦で動体視力に頼っていては相手のフェイント技等に対処しづらいし、おそらく目からの信号より相手のパンチが当たるほうが早いだろう。

接近戦での対処にはいわば全身をセンサーとして相手の動きを読む必要がある。しかし初心者にいきなり相手の突き、蹴りをセンサーで察知せよ、といっても無理だろう。その前段階の稽古が必要だ。

手首をとったり、とられたりすることは全身の触覚を鋭敏にし、読みの能力を向上させる意味があったように思われる。離れた状態よりも接点を持ったほうがはるかに相手を読みやすい。太極拳での推手と同様。

手首を握る稽古はボクシングでいうマススパーの役割をになっていたのではないのだろうか?マススパーも漠然と行っていては効果が期待できないのと同様、手首をとる稽古も触覚を意識しなければ効果が薄いように思われる。

以上私見である。実際に合気道等を経験された方のご意見は如何だろう?

内部セミナー

日曜の稽古後、私が組手の指導を受けた先生にミニセミナーを開催いただいた。対象は当会会員で組手が一定のレベルに達しているもの、内容はもちろん自由組手が中心である。

先生が開催する以上、手首を持たせてコロコロ転がしたり、あらかじめコースが制定された突き技をよけたりするようなものにはならない。直後に感想(前の記事のコメント欄)が述べられているので一部を抜粋しよう。

稽古前は生きて帰れるかと不安でしたが、終わってみると非常に良い経験ができ楽しかったです。
セミナーを通して自分に不足している部分が分かり新しく感じる事もありました。
自分が目指すとなると非常に遠いように感じますが、武術の奥深さを垣間見れました。


生きて帰れるか、とは大げさな(笑)。私は怪我はほとんど心配していなかった。先生は十分手加減できるだけの技量を持たれている。

先生は指導する価値のないと思った相手には指導しない主義だ。私はむしろそのほうが不安だったがこちらの期待した以上に会員達に熱心にご指導いただいた。自分の指導を少し認めていただいたようで嬉しかった。

50代後半で直接手を合わし、技量を示してくださる方は少ないと思う。今後また機会があればセミナーをお願いしたい。

身体を思い通りに動かす、ということ

運動能力の高い人、とは自分のイメージどおりに身体を動かせる人ではないだろうか。学校時代の競走や跳躍など、成績の悪いものはまず例外なくフォームがまずい。もちろん、全日本選手権クラスになると正しいフォームができるのは当然だ。しかし、運動能力のないものにはその前段階からの指導が必要になる。

NHKスペシャル脳がよみがえる〜脳卒中・リハビリ革命〜  を見た。
脳卒中等で腕が不自由になった方への最新の脳医学によるリハビリ方法が紹介されていた。

従来の方式ではリハビリのプログラムを患者に教え、医師は進捗状況を確認するだけだったのが最新療法では脳が命令すると同時に医師や作業療法士等が腕(命令を受ける部分)の運動を補助し、脳の動きと腕の動きを一致させるというものだった。言うまでもないがここでの「運動」とは100Mを10秒で走ったり、時速150KMの速球を投げたりするような特別なものではない。ごく一般の人が行う歩いたり、物を掴んだり、といったレベルの運動である。補助をつけることで再生不能と思われていた部分の運動能力が復活してくるというものだった。

自分の身体は案外思い通りに動かないものである。いくら先生が正しい型を示範してもほとんどの生徒は思い通りに腕を動かせない。当会では補助をつけることにより力を抜いた状態での正しい動きを身体に覚えさせ、徐々に補助を少なくすることで自身で正しい動きができるように指導する。武道の運動も特別に運動能力のある者しかできない運動ではなく、正しく神経が通えば身体を動かせるレベルのものである。

口頭で「正しく動け!」と指示し、あとは結果をチェックするだけ、という指導ではできるもの、できないものがはっきり分かれる。運動能力の高いものと低いものとの差が広がるばかりなのだ。

武術的な動きは運動能力の高いものでも初回からいきなりできるということは少ない。しかしフォームは誰にでもとれるものである。手とり、足とり地道に指導すればやがて動けるようになる。

小手返しをかけられたときの反撃技

一般的な手首関節からの投げ技として「小手返し」が知られる。

アクション女優・茂木亜由美【小手返し(0:12 くらいから)】


柔道(講道館護身術) 三本目の右襟捕(1:15 くらい)は小手返しの応用



合気道はじめ多くの武道、流派で同様の技術がある。

先日の稽古で小手返しをかけられたとき、投げられながら反撃する技術を稽古した。投げられながら相手の手首をとり、かけられた次の瞬間には逆に相手の関節をきめてゆく、というものである。

素人目には「スゴイ!」と思える技法かも知れないが特に重視はしていない。実用性は低い技のように思う。実際に当身や武器を使える状況の中で小手返しで投げたり、投げられたりすることは稀であろうし、逆に立ち技で小手返しをかけられてしまうほど相手と力量差があれば投げられながら相手の関節を取り返す、というような反撃技も難しいだろう。頻繁にこの技を稽古してしまうと「手首への関節技くらい反撃できるんだ」という甘い意識を身体で覚えてしまう懸念がある。

その日の稽古出席者は皆背中が固く、また関節技を小手先でかける(手首でこねまわす)傾向があった。小手返しはその名とはうらはらに小手先で返してはかからない。腕全体を大きく使い、ハラの力でかけることが重要だ(相手が自分から倒れてくれる場合は別)。小手返しはかけるときだけではなく、反撃技(「小手返し返し」、とでも称しようか)も実は小手先ではかからないことを検証するための稽古である。実用技の稽古とは考えないこと。

投げ技の約束組手失敗

このサイトとリンクしているそうたろうさんのブログ「フルコンタクト空手家、合気道を学ぶ」に興味深い記事があった。

私の空手の先生は技量、強さとも非常にレベルの高い方だったが、それでも稀に約束組手を失敗されるときがあった。触れずに倒すとかいった類のものではなく、通常の受け技→投げ技の約束稽古だ。先生は常々わざと倒れる稽古を「慣れ合い稽古」と呼び厳しく戒めていた。失敗もその時代の道場ならではと思うとむしろ稽古の真剣さの表れともいえる。近年はどうなっているのか知らないが、往時は技の効果がないのにわざと倒れると厳しく叱責されたものである。

特定の約束稽古の技がかかりにくいものは確かにいる。悪意はなくとも関節が常人よりも硬すぎたり、柔らかすぎたりすると技はかけにくい。また力士のように下半身が頑強であれば当然技はかけにくい(いい稽古の機会であるとも言えるが)。

約束稽古の技はかかるにこしたことはないが特定の技や稽古相手で失敗したとしてもとりたてて問題とは思えない(特定の人物にしかかからない、というのは問題であるが)。演武会や素人相手のビックリ体験会が目的でないのであれば実戦では自分の得意な技(というか動き)で勝負すればいいのである。フォークボールが投げられなくとも別のウイニングショットがあればピンチにも自信を持ってマウンドに立てる。

何十人、何百人と稽古生がいるような道場で先生の技が誰にでも同じようにかかる、というのであればその先生はよほどの達人かも知れない。あるいはただの慣れ合い稽古かも知れない。読者諸賢は自分から技にかかっていないだろうか?
プロフィール

古流修行者

Author:古流修行者
大阪、三木で沖縄空手を指導しています。東京稽古会も活動中。型で身体を創り、組手に活用します。興味をもたれた方はjyoutatsuhou@gmail.com までご連絡ください。

武道上達法研究会 古伝沖縄空手指導日誌

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