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続・セミナー 

昨日はI先生をお招きして第三回武術的自由組手セミナー。私が都合により参加できなかったので思い切って古参会員のSS君にセミナーの幹事をまかせてみた。

「先生はすごいエネルギーでひたすら少し組手をしては解説を繰り返されるのでなかなか休憩をお願いするタイミングがわかりませんでした」とSS君の弁。理論も実技も両方示してくれる先生は多くないだろう。事後、会員のレベル向上を先生からも連絡いただいた。ハイレベルな組手を体験し、会員も一層稽古にも熱が入ってきたのだろう。幹事をやったことはSS君にも自信になったに違いない。
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前蹴りに対する下段払い受け

約束組手 − 離れた位置からの単発前蹴りを下段払いで受け、突きや回し蹴りで反撃する。フルコン、伝統派を問わず多くみられるパターンと思う。

大学のフルコン空手クラブで最初に教わったのが相手の左前蹴りに対する反撃法(サバキ)だった。お互いにオーソドックス(左足前)に構えた状態から相手が前足(左足)で前蹴りをしかけてくる。こちらは前手(左手)で相手の蹴りを受け流した後に反撃するというものだ。

大学で教わったことは相手の前蹴りに対し下段払いを出すと同時にフットワークを使ってサイド(相手の左側)に入れというものだ。自分が上級生になると自由組手でも後輩達の蹴りはこの受け技で流せるようになり、上手くいけば背後にまわりこむことができる。

さて、後輩には使える下段払いだが同級生以上、あるいはレベルの上がった後輩には自由組手では徐々に使えなくなってくる(約束組手なら可能だが)。二回生の後期くらいになると皆かなり強い蹴りを打ってくる。さらに自由組手ではフェイントもありだ。ボディへの蹴りかと予想してしまい、ガードを下げると上段に蹴りをもらったこともある。そもそもまわりこめるほどのフットワークがあれば最初から手の動きは最小限にして足だけで防御したほうが合理的なこともわかってくる。

お互い構えた状態から 「相手前蹴り → 我下段払い → 突き、もしくは蹴りで反撃」との約束組手は後年、沖縄空手の道場でも行った。
稽古生どうしではパワーやスピードをあらかじめセーブしており、本当の約束練習だった。

しかし先生は黒帯の稽古生がかなり思い切った前蹴りを放っても軽く下段払いで受けることができた。否、思い切り出そうと思うのだがなぜか先生に向かって蹴ると「あれ?」といった感じで間合いが読めなくなり、ふ抜けた蹴りしか使えない、不思議な状態となった。そう、先生は思い切り蹴ってきた前蹴りを力いっぱいの力一杯の下段払いで受けていたのではない。 結果的には力のない前蹴りを下段払いで軽く受けていたのである。先生の間を殺す技術は今でも真似できない。

重みは常に下 − 崩されにくい身体を創る 

一昔前の剣道家の写真などをみると下半身にどっしりとした安定感が感じられる。現代の高校剣道や高校空手の稽古などを見ればフットワークを重視するせいか足もとが軽く見えることが多い。

当会はいわゆる筋トレはほとんど行わないが補助運動としてお互い相撲のように組合った姿勢から押し合う稽古などをたまに行う。押す力を鍛えるためではない。常に重心が下がったままの体勢をつくる稽古である。

柔道でも空手でも技量伯仲の場合、普通に対峙していればそれほど身体を崩されることはない。しかし試合巧者はこちらが技をかけようと一瞬身体を浮かせた瞬間に足払いなどをかけてくる。「素早く動こう」とする一瞬のすきをつかれ、体勢を崩されたり場合によっては綺麗に投げられてしまう。この状況をスピードだけで対処するのは限界があるので身体自体を崩されにくくする必要があるのだ。

スピードのために「重み」を犠牲にしないことを心がけている。

力を抜いた稽古と軟弱な稽古

当会は入会間もない会員には「とにかく力を抜け」と指導する。以前にも記したが脱力が基本である。

ある程度厳しい他武道(フルコン空手など)を経験された方は「こんな軟弱な稽古で本当に大丈夫なんだろうか」という疑問が生じる。私も長く同じ疑問を持っていた。

そう、軟弱な「だけ」の稽古ではダメなのだ。3か月もすれば力を抜いて稽古することが実はキツイ稽古につながるということがわかってくる。

一部の古流系や中国拳法を数年以上修行された方でまったく柔弱な身体のままの方がおられる。不遜な言い方であるがおそらく軟弱なだけの稽古しか指導を受けなかったものと察する。おそらくそれらの武道の創始者や指導者の方々は軟弱なだけの稽古でなく、それなりにキツイ稽古をされたはずだが何らかの意図があって弟子には柔弱な部分しか伝えられていないのではないか。

脱力の稽古は楽ではない。健身のみの目的なら別だが、ある程度の強さを求める場合楽なままの脱力稽古なら数年行っても効果は薄い。

初心者にいきなり熟練者の稽古を行わせることが無謀であると同様、「熟練者」といっていいほどのキャリアがありながら入門者と負担が同レベルの稽古ばかりをするのは武術としては意味がない。

叱る?褒める? ・・・ モチベーションと厳しさ

私は最初はあまりモチベーションは高くなかったのですが、講師が小さなことでも褒めるので嬉しくなって途中から自分でも意外なくらい真面目に勉強しました。
最初はやる気のなかった者のやる気を出させた、「褒める」はモチベーションの維持の点で効果的な指導力の一つだと思いました。


以上は以前のブログに読者のしまさんからいただいたコメント。褒めることがモチベーション向上につながることは事実だろう。あまり褒められたり、叱られたりして一喜一憂というのもどうかとは思うが。

私は教育学を本格的に学んだわけでもないので「褒めるべきか、叱るべきか」について専門的な見地から回答はできない。「指導者と生徒の関係」といっても一様ではない。カルチャーセンターと相撲部屋ではレベルが異なる。

一部の体育会系指導者にはただ怒鳴り、人格否定することが厳しさであると考えている人たちがいる。多くはモチベーションを低下させる名人である。ムチでしか人を導けないタイプなのだろう。厳しさは必要だが欠点をあげつらうだけで技量が向上するとは思えない。日本の場合「師弟関係かくあるべし」というステレオタイプのみがあり、指導法の効果の検証は不十分なように思う。

さて、ただ叱るだけの指導法の場合、指導を受ける側が叱られるのを恐れるあまり欠点を隠すようになるという弊害がある。スポーツや芸術の指導なら比較的ミスも発見しやすいが通常の職場の場合はそうはいかない。職場のミスを「一時的に」隠すのはそれほど難しいことではない。「叱る」指導が日本型指導法とするならば日本の組織の無責任体質を創りだしているとは言えないだろうか。オリンパスや大王製紙などは日本的無責任トップのサンプルとしてこれからビジネススクール等でケーススタディになりうると思う。

私の教室では技術的なことで生徒を指導する場合、「褒める・叱る」というよりは「事実を指摘する」だけである。例えば
「この動作のときに足に力が入っている」
「この部分は以前より力を抜いた状態で自然に腕が伸びている、家で練習した跡がみえる」
「いったん良くなりかけた背中を曲げる癖がまた出てきている、勝手なトレーニングをやったのだろう」
といったものである。指摘、矯正されることで技が出せるようになる→以前はできなかったことができるようになる→結果としてモチベーションが向上する。

大人ばかりの教室なので褒めたり、叱ったりでモチベーションを高めるような指導法はとっていない。たいしたことのない私であるが威張ったり、怒鳴ったりすることで優越感に浸るほどはレベルは低くない自負はある。

子どもにできて大人にできないことは確かにある

「子どもってすごいなぁ」と感じられたことはないだろうか。一例が語学。子どもは外国に住むと簡単にその国の言葉を吸収する。大人は海外に長く住んでも買い物程度の日常会話やっとこさという人も少なくないし、発音や語順等でどうしても母国語の癖が出てしまう。

逆説的に言えることは「大人に対しての学習法と子どもに対するものとは異なる」ということ。子どもはその身体自体が乾いたスポンジが水を吸うように与えられたものを何でも吸収するが大人は身体にすでにフィルターを持っているのでただ「いいものに接しているんだから吸収しろ」という教え方では難しいということである。

以下の動画はYOUTUBEで人気。幼児は言葉がなくともコミニュケーションが可能だ。大人に言葉に頼らない指導をすることは大人と「ターターター語」でコミニュケーションをとろうとすることと似ている。

プロフィール

古流修行者

Author:古流修行者
大阪、三木で沖縄空手を指導しています。東京稽古会も活動中。型で身体を創り、組手に活用します。興味をもたれた方はjyoutatsuhou@gmail.com までご連絡ください。

武道上達法研究会 古伝沖縄空手指導日誌

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