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身体の中心と円運動 − 先生のご指導の記憶

私の空手の先生は天才型の武道家だった。言語感覚もまた長嶋茂雄型だった。

ある日の稽古、サンチンの型の指導時に「まだ身体の中心ができておらん。しっかり身体の中心を創るように」と指摘された。その約三十分後、今度は基本の突き、蹴りの稽古時に「身体に中心を創っておる。身体には中心を創ったらいかん」と指摘された。稽古生が混乱していると「わからんのか!バカは強うなれんぞ!」と叱責されるのでとても質問などできる雰囲気ではなかったものだ。

稽古後、先生が稽古場から出られた後によく後輩から先生の言葉の通訳を要請されたものである(現在も通訳役はいるのだろうか?)。私としても十分意を解せたわけではないが上の二点については以下のように解釈できる。

?サンチンの型の稽古中での「中心」とはハラがしっかりしていること。先生のハラはまるで鉄球でも入っているかのような固さだった。技の源としてのハラ、中国武術でいう「腰腹一体」を身につけるように指示されていた。

?基本稽古、移動稽古の際の「中心」とは一般的な言葉でいう「支点」に近い。コンパスで円を書いたときに円の中心となる針に例えられる。

多くのスポーツでは中心を重視する。ゴルフなどはその典型(スイング平面は中心点が必ずある)だ。格闘技も例外ではなく空手の蹴り技も右足で蹴るときには左足を軸に円運動を行うような術理が一般的だ。

この理論は理解しやすいのだが軸足を創ることは次に来る技を限定してしまう欠点がある。ゴルフなら止まった球を打てばいいし、野球でも球は前方からしか来ないので問題はないが空手等だと両手両足の攻撃に対処できないとならないのでバリエーションが多くなる。また体重の支える軸足自体を攻撃された場合ダメージが大きい。この意味で古流空手ではスイング式の蹴り技は多用しない。昔の沖縄にはムエタイ式の回し蹴りはなかった、という逸話をご存じの人も多いだろう。

先生は言葉よりも「感覚」を重視する方だった。饒舌な方だったがもし指導をそのまま活字にしていたらいたるところで混乱していたかもしれない。私の先生と同じような天才肌、言語感覚の先生の指導を受けておられる読者諸賢も少なくないと思う。その場合、むしろ言葉は忘れ、できるだけ先生と腕を合わせ、身体の感覚で先生の技を記憶し、再現したほうがベターだ。不立文字、拈華微笑。


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古流修行者

Author:古流修行者
大阪、尼崎で沖縄空手を指導しています。また東京稽古会も発足しました。型で身体と動きを創ることを中心としています。興味をもたれた方はjyoutatsuhou@gmail.com までご連絡ください。

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